10月31日から予選がスタートした「橋本総業全日本テニス選手権89th」(有明テニスの森)。本戦は11月2日~9日の日程で行われている。
大会7日目の女子シングルス決勝は、第1シードの江口実沙(北日本物産)が第7シードの澤柳璃子(ミキハウス)を2-6 6-1 6-3で倒し、初優勝を果たした。
「勝つこと」が至上命題なのはどんな試合でも同じだが、全日本が通常のツアーと違うのは、参戦する選手たちの目的が(ランキング)ポイントではなく、あくまでもタイトルだということ。大げさに言えば、優勝を逃せば次のチャンスは1年後までない。そういう意味ではグランドスラムと同じ種類のプレッシャーがかかると言ってもいいのかもしれない。
グランドスラムの決勝がそうであるように、全日本の決勝も常に名勝負になるとは限らない。戦う二人の選手たちは強い緊張感に晒され、いつもの力が出せなくなる。それを振りきって勝利の筋道を描けた選手がタイトルを手にする。それが全日本の決勝だ。
「2ゲームを取って、今日はいい感じだと思ったが、ここから璃子ちゃんが積極的にきた」と江口。先にブレークを許した澤柳の方が先に緊張感から抜け出したようで、鋭いフットワークから次々と強力なボールを左右に散らし、積極的にネットプレーを仕掛けて6ゲームを連取。第1セットは澤柳のペースで進んだ。
「もうあとがない。自分の好きなようにやろうと思った」と江口は言う。第1セットが終わったあとにトイレットブレークをとった江口は、気持ちをリセットして第2セットに臨んだ。
第2セットの江口は得意のフォアハンドに回り込んで深く、速いボールをストレート、あるいは逆クロスにコントロールして澤柳を走らせた。
「今日は走らせたときの(澤柳の)バックのスライスが入ってこない」と感じていたという江口は、「オープンスペースが開いたらバック(を狙う)という展開を使った。バックでスライスを打たせるつもりで組み立てた」と話している。
第1セットで飛ばしたツケか、第2セットの後半に澤柳は右足を気にする素振りを見せて、「足の裏がつり始めていた」と試合後に明かしている。プレーに影響はなかったと彼女は言うが、一歩目の反応が遅れ気味になっていたのは明らかだった。
第2セットを取り返した江口は、第3セットでも先にブレークしてリードした。
「いつもの相手よりも1本、2本多く返ってくる」と感じていた澤柳は、「(ポイントを)取りたい気持ちが強くなりすぎてしまった。江口さんの守りが、ミスにつながってしまった」と話している。
先にリードを許したことで、さらにリスクを取る必要に迫られた澤柳に対して、江口は「勝つためにはどうするか? と考えたときに、相手に打たせないことだと思った。その上で自分がどう攻めていくかが問題で、できるだけ先手をとり、相手を走らせようと思った」とシンプルな戦術で試合を進めた。
はっきりと守りの意識を高めた江口を崩すために、澤柳はさらにタイトにライン際を狙ったり、前後の展開を使わざるを得ない状況に追い込まれた。だが、完璧に展開をつくって、あとはトドメを刺すだけというショットでミスを積み重ねたのは、やはり焦りがあったのだろう。
「ショットの精度を上げていくこと。今は狙いすぎてしまっている。もっとラインの内側に入れて、リスクなくしっかり攻め続けられるようになれば、変わってくるのかなと思う」と澤柳。
ラインを狙え、タッチ系のショットも使え、ネットプレーも自然な形で選択できるのが澤柳の強みだが、リスクを犯してでも攻めなければならないときと、そうでないときのメリハリが今はまだ明確になっておらず、いたずらにミスを重ねて流れを手放してしまうことがある。
勝負所の見極めと、集中力のコントロールのバランスが整えられてくれば、彼女は大きく化けられる能力をすでに持っている。今年はタイトルを逃したが、負けの中からでも何かを学ぶことができれば強くなるだろう。
今年の7月から、高校とクラブの先輩でもある小畑沙織をコーチに迎えたのが江口。現役時代の小畑はパワーには恵まれなかったが、抜群の駆け引きの能力を持つ選手として知られ、世界ランキングで39位を記録した経験を持つ日本女子きっての戦術家。
「戦術面を教えてもらっていて、プレーの幅が広がった。味方にいてくれて心強い」存在だと江口は言う。
この決勝に限らず、全日本の期間中はずっと小畑から「普通にやれば大丈夫だから、と言われていた」という江口だが、実際に全日本での優勝経験を持つ小畑からのこの言葉は、彼女の大きな支えになったに違いない。
もともと、打球能力に関して出色のものを持っていたのが江口。あとは経験を積み、その使い方を覚えればいいというレベルに彼女はきている。
現在の江口の世界ランキングは130位。全豪オープンを含め、グランドスラムの本戦入りが確実になるまであと少しというところにいる。
「上(のレベル)のツアーを回り出して、奈良くるみ(安藤証券)さんとも大会でいっしょになることが増えた。今まではほど遠いと思っていた世界が、身近に感じられるようになってきた。同じ所で戦いたいと考えるようになった」と江口は話している。
全日本のタイトルを引っさげて、来季はツアーで活躍する彼女の姿が見たい。そのためには緊張した場面で、ほとんど入れるだけになりがちなファーストサービスの本格的な強化や、もう一段階上の俊敏性などがほしいところだが、課題が明確な分だけ克服するのも難しくはないはずだ。今後の江口の成長に期待したい。
※トップ写真は初優勝を飾った江口実沙(右)と準優勝の澤柳(左)